【シニアとパンダ】2026年、日本からパンダがいなくなる?

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シニア世代が紡ぐ「パンダ愛」の50年

最近、ニュースやSNSで「2026年には日本にパンダがいなくなるかもしれない」という話題が注目を集めています。特に、1972年の最初の来日からずっと彼らを見守ってきたシニア世代の方々にとっては、単なる「動物の返還」以上の、身を切られるような寂しさがあるのではないでしょうか。

今回のブログでは、日本のパンダの歩みを振り返りながら、なぜ私たちがこれほどまでにパンダに心を寄せるのか、その歴史とエピソードを綴ります。


1. 2026年「パンダ・ゼロ」の危機とは?

現在、日本でパンダに会えるのは上野動物園(東京)だけとなっています。しかし、その上野にいる双子の「シャオシャオ」と「レイレイ」も、中国との協定に基づき、2026年1月下旬に返還されることが決定しました。

  • アドベンチャーワールド(和歌山): 2025年6月までに全4頭が返還予定。
  • 上野動物園(東京): 2026年1月末に最後の2頭が返還予定。

もし新たなパンダの貸与が決まらなければ、2026年2月には1972年以来、約50年ぶりに「日本にパンダが1頭もいない」状態になるのです。


2. あの熱狂を忘れない ―― 1972年、カンカンとランランの衝撃

今のシニア世代が忘れられないのは、やはり1972年(昭和47年)の出来事でしょう。日中国交正常化を記念して、日本に初めてやってきたカンカンランラン。あの時の熱狂は、今のアイドルブームをも凌ぐものでした。

当時の思い出エピソード 「上野公園に2キロ以上の行列ができて、数時間並んだのに見られたのはたったの数秒。パンダの背中か、前の人の後頭部しか覚えていないけれど、それでも『パンダを見た!』というだけで誇らしかった」

白と黒の不思議な模様、おにぎりのような座り方。それまで図鑑でしか見たことがなかった生き物が目の前にいるという感動は、戦後復興を経て豊かになり始めた日本を、より一層明るく彩ってくれました。


3. 日本中を笑顔にしたパンダたちの軌跡

カンカン・ランラン以降も、パンダは常に私たちの人生の節目にいました。

  • 上野のアイドルたち: 日本で初めて赤ちゃんが誕生したときの喜び。フェイフェイ、ホァンホァン、そしてトントン……。名前を公募で決めるたびに、日本中がわくわくしました。
  • 和歌山の「偉大なる父」永明(エイメイ): 和歌山のアドベンチャーワールドでは、16頭ものパパになった永明が、大家族を築きました。のんびりと竹を食べる姿に、自分たちの家庭や孫の成長を重ね合わせた方も多いはずです。
  • 神戸の「お嬢様」タンタン: 阪神・淡路大震災後の神戸を勇気づけるためにやってきた旦旦(タンタン)。2024年3月に天国へ旅立ちましたが、最後まで多くの人に勇気を与えてくれました。

4. なぜ、シニアはこれほどまでに寂しいのか

シニア世代にとって、パンダは単なる「珍しい動物」ではありません。 子どもの頃に親に連れられて見たカンカン、現役時代に仕事の合間にニュースで見た誕生の知らせ、そして定年後、孫と一緒に会いに行ったシャオシャオ……。

パンダの歴史は、そのまま自分たちの生きてきた時代の記憶と重なっているのです。

彼らがいなくなるということは、自分たちの青春や、家族との大切な思い出の一部が遠くへ行ってしまうような、そんな喪失感があるのかもしれません。


5. これからの希望を込めて

現在、東京都などは中国側と新たなパンダの貸与について交渉を続けています。パンダは「平和の使者」とも呼ばれます。50年以上前に始まった日中の友好の証が、これからも形を変えて続いていくことを願わずにはいられません。

2026年、もし一時的に姿が見られなくなったとしても、私たちが彼らからもらった笑顔や癒やしが消えることはありません。

「またいつか、上野や和歌山で、あの愛くるしい姿に会えますように。」

そんな願いを胸に、今は残された時間を大切に、最後の日まで「ありがとう」の気持ちで見守っていきたいですね。

📸 上野動物園・歴代パンダの歩み:50年の思い出年代表

上野のパンダの歴史は、大きく分けて**「昭和の熱狂」「空白の期間」「令和の双子」**という3つの時代に分かれます。

年代(和暦)パンダの名前歴史・エピソード
1972年 (昭47)カンカン・ランラン日本初のパンダ来日! 日中国交正常化を記念。空前のパンダブームで、上野駅から動物園まで人の列が途切れませんでした。
1980年 (昭55)フェイフェイ・ホァンホァン亡くなった初代ペアに代わって来日。ここから「上野での赤ちゃん誕生」への挑戦が本格化します。
1986年 (昭61)トントン (童童)日本で初めて無事に育った赤ちゃん。公募で決まった名前は社会現象になり、ぬいぐるみなどのグッズも爆発的に売れました。
1988年 (昭63)ユウユウ (悠悠)トントンの弟として誕生。昭和から平成へと移り変わる激動の時期、人々に癒やしを与えてくれました。
1992年 (平4)リンリン (陵陵)ユウユウとの交換で北京から来日。その後、唯一「日本国籍」を持つパンダとして、長く上野の主(あるじ)を務めました。
2008年 (平20)(一時不在)リンリンが亡くなり、上野からパンダが1頭もいない期間が約3年続きました。園内はどこか寂しい雰囲気に包まれました。
2011年 (平23)リーリー・シンシン東日本大震災の直後に一般公開が始まりました。沈んでいた日本に笑顔を取り戻してくれた、希望の光でした。
2017年 (平29)シャンシャン (香香)リーリー・シンシンの間に生まれた待望の赤ちゃん。観覧は抽選制になるほどの人気で、成長の様子が毎日ニュースになりました。
2021年 (令3)シャオシャオ・レイレイ上野初の双子のパンダが誕生。コロナ禍という困難な時期に、明るい話題を届けてくれました。
2023年 (令5)シャンシャン返還多くのファンが涙で見送る中、中国へ。現在も中国で元気に暮らしています。
2024年 (令6)リーリー・シンシン返還健康管理のため、惜しまれつつも9月に中国へ帰国しました。
2026年 (令8)(返還予定)現在上野に残っているシャオシャオとレイレイが1月下旬に返還予定です。

💡 思い出を語るための「3つのポイント」

  1. 「行列」の思い出シニア世代の方に共通するのが、**「数時間並んだのに、見られたのは一瞬だった」**という笑い話です。当時は立ち止まって見ることは許されず、歩きながらチラリと見るのが精一杯でした。
  2. テレビのニュース昔は「パンダの赤ちゃんが生まれた」「名前が決まった」というだけで、ニュースのトップ項目になりました。トントンの誕生(1986年)などは、まさに日本中がお祝いムード一色でしたね。
  3. 上野公園の風景の変化パンダの来日とともに、上野の街にはパンダ柄のポストや看板があふれ、パンダの形のお菓子が定番のお土産になりました。パンダはまさに、上野という街の象徴でした。

この年表を見て、**「トントンが生まれたときは、ちょうど息子が小学校に入った頃だったわ」「カンカン・ランランを見に行くために、早朝から並んだのが懐かしい」**といったエピソードは皆さんもございませんか?

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